ポピュリスト の台頭
特定の誰かをして、ポピュリストだと断言することにはやや抵抗があるのだが、それはまあ自分と考えが違うけど世間的には人気を博している....というような人をポピュリストと判定するのはちょっと違うのかなあと
古くは(といっても感覚的には最近なのだけど...)ケンブリッジ・アナリティカ事件以来ぐらいからテクノロジーによって有権者がアジられることに対する懸念というのが首をもたげてきたと認識しているのだが、海の向こうでは早くも生成でフェイク映像を作ってネガキャンする的なことがガンガンやられている中で、我が邦ではまだそこまでではないのが多少マシに感じはするものの、選挙権がないので話題を全て無視していた都知事選にはじまり、今回の衆院選でもなんとなくインフルエンスマーケティング的選挙の片鱗を感じた これは完全に自分の感覚的なところだけど、2016年の米大統領選ではトランプは泡沫候補にしか見えなかったし、都知事選にしても衆院選にしても、票を伸ばしたつってチヤホヤされているところは泡沫政党にしか感じられなかった まあ、その泡沫候補が当たってるわけだから己の見通し見立て能力がいかにヘボいかというだけの話なんだが...
古の格言の「野球と宗教と政治の話はするな」っつーやつに「アホぬかせ、大事なことの方が話されるべきだろう!」というスタンスでいたのだが、どっちの選挙でも "アジられている" 人に結構心の溝を感じたというか、特段それで何か接し方とか行動を変えるわけではないが、なんかこう、心に石を積む感覚があった いろいろ要素は複合してるんだろうとはおもうけど、ひとつの切り口として世代間闘争がある感じがして、それ自体は30代の人間としてはジジイ共はジジイ達で共助してくれ、頼む、という気持ちはあるのだが、それはそうとしてマジに世代間闘争になっちまうと人数差で不利なんだよなあ....と選挙権を得て以来の懸案事項が再燃してくる
今回の衆院選は建前としては政権選択選挙だったはずなのに、自民党への信任投票みたいな選挙になってしまい、一応野党第一党の立憲民主が政権を獲りにいく器じゃなかったのか(野田って時点でなあ...)自民党が下野するわけでもなく、かといって野党連立政権ができるわけでもなく、中途半端な勢力分布になってしまい、結局これは自民党を利しているのでは?というのが率直な感想である んでもって、そうなる要因のひとつとしてぶっちゃけバラマキ政策にしか見えない国民民主に乗る人がそれなりにいたせいで、損得野郎どもめ....とおもってしまう ヨーロッパの選挙なぞをみていても、小政党はイデオロギー的ポピュリストは極右や極左になり、世俗的ポピュリストはワンイシューになっていく感じがするので、生存戦略として正しいのかもしれないけど